『黒澤映画ゼミナール』〜黒澤明的リーダーの条件〜

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zoom RSS 狂ったこの世で気が狂うなら、気は確かだ!狂阿弥(ピーター=池畑慎之介)の台詞が真理なら・・・

<<   作成日時 : 2008/09/08 23:32   >>

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「あの時は、一分一秒でも生きて居たくなかった」
何故自殺未遂をしたんですか?という外国人の質問に、こうこたえていたという黒澤明監督(野上照代談)。

テレビの仕事を請けて、予算内で作品を完成し納品しないと収入を得られない。
その状況は、トラ!トラ!トラ!で味わった東映京都やハリウッドの条件以上に劣悪で、黒澤映画製作術には決して容認できるものではなかった。
しかし、当時負っていた黒澤プロダクションの借金を考えると、世界一の映像作家として貫いてきた完成した演出スタイルを捨てて、会社を支える収入の為に納得のいかないTVの仕事を引き受けるしかない状況に黒澤監督は追い込まれていたのだと思う。

自殺が狂った行為でも、狂った映像製作産業界で狂うなら、映像作家黒澤明が貫こうとした信念、良心という気は確かだった。

『乱』の一文字秀虎は嵐の荒野で叫んだ。
「許せ!許せー!許してくれ!」
三の城で我が子の兵にだまし討ちで皆殺しになった郎党達の死を嘆きながら秀虎は叫んだ。
「この雨は、あの者たちの涙だ!この風は、我が郎党たちの叫びだ!」

決定稿にも残されたこのシーンのこの台詞は、2度目の台風が来なかったために欠番となって撮影されなかった。
ただこの台詞のニュアンスは完成版の“鶴丸の小屋”の台詞に掘り込まれ、鶴丸の笛の音で秀虎が完全に狂ってしまうという、『白痴』の亀田と同じく良心の呵責という人間の本性で『乱』の主人公は、この世で狂った存在になった。

市川昆監督も、木下恵介監督もテレビドラマの演出で生き残る道を選んでいた頃に、黒澤監督は自害しようとした。
画像

この太陽を見ると、明という字を思い出す。
太陽と月の馬印、一文字家の家紋のデザインは“明”の字をモデルにしたものだと、
『乱』の現場で三十騎の会の方々に聞いた時
「本当にこの映画で最後にされるおつもりなんだ!」と
涙が出たのを思い出す。

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