『淵に立つ』観客を人間不信に貶めて、不幸な気分にする映画を何故作る?

ここまで救いがないと腹が立つ!
何のためにこんな映画を作るのか?

スタッフを集めてカメラを構えて役者を動かして映像に定着させて編集して音楽つけて公開して映画賞を狙う?
その過程は作業として楽しいかも知れないが、
完成した映画がここまで不幸の連続だったとき、
観客がどんな気持ちに陥るか?
それはもう映像の暴力だ!
その責任の重さについて、このプロデューサーや監督は考えた事が全くないのではないか?

どうシナリオとして成立するか、どう撮れば繋がるか、どうスケジュールを組めば予算に収められるか、
など映画製作の作業工程を考えてこなす事に夢中でしかないんじゃないか?と思う。

殺人者にも良心の欠片はあると思わせといて、途中から急激に悪の洪水に胸を締め付けられる展開。
観客はただただ苦しくて息も出来なくなる。

最後は、エ?嘘でしょ?これで終わり?

『羅生門』とは真逆の映画。観る価値無し!人間はこんなに弱くないぞ!と信じたい。



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